入間市テニス協会の歩み

平成1711月吉日

                           入間市テニス協会

入間市には軟式テニスの組織である入間市庭球連盟が昭和41年に設立されていた。硬式テニスはその2年後の43年に安川電機と自衛隊入間基地が庭球連盟に加盟した、第一回テニス大会(シングルス戦)は入間市市役所主催で、その年の秋(106日)に開催された、これが今日の入間市テニス協会の実質的な活動の第一歩である。昭和48年に硬式加盟団体が6団体に増え連盟内を軟式部と硬式部に分け硬式テニスの人達による大会の開催準備や運営が行われた。

昭和49年に第一回テニス教室を開催し市民を対象としたテニス普及活動が始まった

教室参加者は教室終了後に生徒達によってサークルを結成し市民テニスサークルが次々と生まれていった、当協会も指導者を派遣し結成の手助けを行った、このようなサークルが市内には10団体あり、そのサークルが更にサークルとなって大きな普及の輪となっている。誰もが気軽にテニスができる場と成って育っていったのである。

また指導者育成では不定期であるが講師を招き指導者の育成活動を行ってきた。

56年から不定期にダンロップスポーツ社のご協力で指導者実践講習会、63年にはビヨンボルグ(元世界チャピオン)による指導会、平成7年には松岡修道氏(ウインブルドン大会ベスト4)による指導会を開催した。両氏の指導は見学者も多く市民にテニスへの関心を呼びテニス人口増と繋がった。

大 会

市のテニス大会は単戦、複戦、混合戦、団体戦である、43年に第一回開催後、シングルス戦は今年度で38回目を迎えることと成った、大会の内容も年齢別やクラス別、ランキング制、ポイント制を導入するなどして上級大会に挑戦する選手と多くの市民が気楽に参加しやすい大会にと要項を変えていった。

当市協会はこれらの大会以外に63年に市のスポーツ振興に功績のあった第2代会長、澤田寿雄氏の功績を称え澤田杯争奪戦を年間を通し開催している、また平成5年には協会25周年を記念して大会の参加費と募金活動で福祉事業に寄付することを目的としてチャリティテニス大会を毎年開催している。

平成17年から近郊市町の中学生以下の育成を目的としてジュニア育成大会を開催した、小学2年から中学3年まで55名の参加があり指導会を含めた育成大会となった、今後この育成大会の継続によりジュニア普及に努めたいと考えている。

 

組織と役割

大会開催が増え教室などの普及活動により参加選手も増加の一途をたどった(5457年)、この変貌に貧弱な協会組織では対応できず大会の運営に支障を兆す状況と成った(5657年)。コート不足、ドロー作成の手不足、選手の待ち時間問題、大会運営中の苦情対応、事務局への負担の偏り、外部(県、市)対応などの問題が発生し組織と運営の見直しを57年〜58年に行った。

役員を増員し役割分担の明確化を計った、大会運営、コート担当、会計、広報、指導、渉外、県担当、会則担当に分け運営に当たった。またそれを支える会則を見直し、誰が行っても同じ様にできる取り組みと負担の分散を58年に行った。テニス協会会則、テニス賞規定、トーナメント規則、ランキング規則の制定と改定である。

これらにより運営の効率化が図られた。

 

入間市テニス協会38年のあゆみ

41年  中央公園にテニスコートオープン(4面)

43年  庭球連盟(軟式)に硬式テニス2団体が加盟

      第一回テニス大会シングルス戦開催

47年  第一回テニス大会ダブルス戦開催

49年  第一回テニス教室開催される

50年  大会参加人数が増えテニスコート不足、大会を人事院、学校、会社のコート使用

52年  運動公園にテニスコートオープン(6面)

53年  庭球連盟から分離しテニス協会を設立、会長に澤田俊雄氏(医師会会長)

54年  第一回テニス大会混合戦開催

56年  体育館建設、第一回室内戦開催する、年間の大会参加人数が1000人を超える

     コート不足慢性化、確保に東奔西走

57年  第一回婦人テニス教室開催する

58年  黒須運動場(河川敷)にテニスコートオープン(10面)

62年  テニス協会20周年、記念誌発刊

63年  地区都市対抗予戦会入間市で開催

     ビヨンボルグ(元世界チャピオン)による指導会開催

H3年  酒井正文氏入間市体育功労賞受賞、その後、石川氏、次田氏ら4名受賞

4年  テニス協会25周年、大会記録誌発刊

     25周年記念事業としてチャリティフェステバル大会開催

     (以降毎年開催、  参加費と募金を福祉事業に寄付)

H5年   コート不足で中断していたテニス教室再開催する

9   松岡修道氏(ウインブルドン大会ベスト4)による指導会開催

10年  黒須運動場テニスコートが入間川増水で冠水、コート使用不可と成る

11年  テニスコートの貸出がインターネット化で競争率激しさを増す、

     テニスコート不足再発、テニス教室、開催を一時中止

12年  テニスコート建設請願書3086名の署名を添え市議会に提出採択される

13年  平成101213年と3回目の入間川増水(豪雨)で黒須運動場テニスコート

が冠水で使用不可、協会より修復に延べ80(/)動員

H14年  テニス協会側でテニスコート用地を紹介するなど再び建設要請活動開始

H16年  埼玉国体開催 ・第4代会長に駒井勲市議を迎える

H17年  第一回ジュニア育成大会開催

 

入間市テニス協会の課題

 テニス協会は今年で38年を迎える、結成以来、入間市の発展と共に拡大し変貌して今日に至っている。

「健全なる精神は健全なる心身に宿る」ことの果たす役割をテニスと云うスポーツを通し多くの市民に知っていただきたいと普及活動をしてきた。また市大会を一流選手の登竜門大会と位置付け内容の充実図ってきた。

 しかし普及活動によるテニス人口増加はコート不足の問題を作り出した。

  当協会が早急に取り組むべき課題として

    1、大会会場に使用できるテニスコートの建設

      ・12年度のコート建設請願書沼沢の実現

    2、硬式テニス教室の開催による普及活動

      ・硬式の教室開催要望が強い

3、学校テニスへの硬式テニスの普及活動とジュニア指導者の育成による

底辺の拡大

最後に

 当協会の38年も、多くの人に支えられてのあゆみです

 協会設立に献身的に指導いただいた野村和幸氏、大会運営の指導を受けた小林重雄氏、テニス教室指導では安川電機テニス部の皆さん、コート不足では折衝を一手に引き受けた次田健夫氏、入間川増水によるコートへの冠水では大会開催に向けた市体育課職員皆様の修復作業、またテニスコート建設請願では3057名の署名を戴いた市民の皆様、この様な多くの人に支えられての入間市テニス協会の38年です。

大会での活躍は年齢別全国大会でベスト4入りした酒井正文選手、県大会では石川選手や優勝経験のある宮崎選手らである。

当協会を支えた人々や、大会記録は20周年記念誌と大会記録誌(年度発行)に記載してあります。閲覧して頂ければ幸いである。